ビワハヤヒデ


1993 神戸新聞杯
写真提供:RACINGFIELDS.com
 


牡  芦毛  1989年03月10日生  福島県福島県桑折町 産
父  シャルード    母  パシフィカス   父の父  Caro  母の父 ノーザンダンサー  


 



ビワハヤヒデについては、この「 My Memorial Houses 」 の馬リストのなかでは、実は一番長く

リアルタイムで応援していた馬なんです。

その理由は、なんといっても、その(旧)4歳当時の、長い顔を隠すような赤いメンコの愛嬌たっぷりな姿と

その姿には不釣合いな(笑)優等生的なの競走成績のせいでした。

なんか本当は強いんだかなんだか、良く判らない。。。とファンをやきもきさせたレースっぷりが、

憎めないヤツなんだよなあっていう、自分の弟か息子を見ているようなそんな気持ちで応援していたんだと思います。

それからもうひとつ、大きな哀しい出来事が同時期に私の身に降りかかっていて、

それを乗り越えることが出来たのも、このビワハヤヒデのどこかユーモラスな風貌と

確かな実力の安心したレースぶりを見せてもらったおかげだったからなのです。



同期、ウイニングチケット、ナリタタイシンと「 3強 」と呼ばれた1994年同期の桜のうち、いつももうちょっとというところで、

1番になれない、でも2番は必ずはずさないという、妙な優等生の箱入り息子的な “ 詰めの甘い ”レースっぷりで、

古馬になってからのあの凛々しい姿とは、対照的で、それも今となっては懐かしいです。



(旧)4歳クラシックロード緒戦、1993年皐月賞では、ナリタタイシンの2着、

続くダービーでは、柴田政人騎手「 悲願のダービー制覇 ! 」に、華を譲っちゃう優しいお坊ちゃま。

赤いメンコを被って、前脚をパッカパッカさせながら、生真面目に走る姿もなんだか、つい笑っちゃうんです。( ゴメンね !)

それでも、連帯ははずさないというホントはとっても実力の持ち主だったのですけれどね。

主戦騎手のオカベさんの教えを忠実に守る優等生。

濱田調教師も、

「 ハヤヒデはね〜〜。」と、目を細めながら、インタビューに答えていたのが微笑ましくて好感が持てました。



そんなハヤヒデ君に、陣営は三冠最後のレース、秋の「菊花賞」必勝作戦をもって、夏の北海道へノンビリ休養

なんてことはさせず、( 放牧中に事故があってはたまらないとの理由だったそう。。。)

栗東の自厩舎で、過ごしたハヤヒデ君でした。



そして、いよいよ秋本番。

選んだレースは、9月26日菊花賞トライアル、神戸新聞杯です。

3強の誰よりも一番乗りに始動開始でした。


パラグアイ赴任が、10月下旬と決定していた私にとって、11月の菊花賞を観ることは出来ないわけで、

このレースがビワハヤヒデの夏の仕上がりを見ることが出来る日本での最後のレースだったわけですが、

それまで、いつも僅差で勝てない彼の精神的な弱さを払拭するかのように、

その日パドックに現れたビワハヤヒデは、トレードマークの赤いメンコをはずしていたのです。

初めて見る顔。

「 お顔が長くて、他馬との距離間が、とれないぞ!ハヤヒデ!! 」なあんて、憎まれ口をたたかれていた、

ちょっぴりマヌケな風貌の春の彼とは、明らかに違っていました。

「 う〜〜ん、なかなか凛々しいぞ! 」と思ったものです。



レースは、ビワハヤヒデの完勝でした。

7馬身差。

初秋の傾きかけた西陽の光を受けてキラキラ輝くビワハヤヒデの鞍上の岡部騎手が、

直線に向う彼に、「 さあ、ハヤヒデ! 行くぞ ! 」とばかりに後ろを振り返って、

後続の馬群を確認してから、一発ゴーサインを打っていたのが、印象的でした。

余裕の貫禄のゴールインでした。

「 これで、菊に向けて視界良好! 向うところ敵なしだな。」 と、

私は、この日、ビワハヤヒデの菊花賞への確かな手ごたえを感じ、安心してパラグアイへと旅立ったのでした。



迎えた菊花賞は、やはりビワハヤヒデの頭上に輝いたのでした。

遠く離れたパラグアイの地で、それを確かめた私は、ウキウキと幸せな気持ちになりました。


その後の活躍は、素晴らしかったですね。

暮れの有馬記念は、4歳馬として、果敢に挑戦し、トウカイテイオーの、「 奇跡の復活劇 」の前に

惜しくも2着に甘んじましたが、その確かな実力をさらに確信させるものでした。


鞍上の岡部騎手のレース後のコメントです。

「 残念、残念、また来年。

 こっちだって最高の走りだった。 それを交わされるんだから、、、、、。

 まだ、可能性のある馬。

 (旧)5歳になる来年が勝負だよ。」


そう、まだ若い。 ビワハヤヒデが真の王者に君臨するには、時間の余裕がある。

何しろ、一度も連帯をはずしていないのだから。

春の天皇賞、宝塚記念、JC( Japan Cup ) そして、雪辱の有馬記念。

もうすぐ、ビワハヤヒデの年がやってくる !

                     ---- スポーツニッポン新聞より 抜粋 ---




同期3強の他の2頭が、古馬になってからの泣かず飛ばずの様子に比べて、ビワハヤヒデは

引退する1994年天皇賞[秋]のレースまで、「 最強の芦毛伝説 」を、塗り変えていったのでした。



もう一つ、ビワハヤヒデの話題として、全弟の3冠馬ナリタブライアンとの幻の兄弟対決がありますが、

兄 ハヤヒデが芦毛に対して、弟ブライアンは、父のブライアンズタイムの毛色が出て、黒鹿毛の馬体。

そんな弟のスマートぶりを見るにつけ、なんとなく不細工な( ゴメン!) 兄のハヤヒデのほうをひいきにしてしまう私です。

そんなナリタブライアンは、既にこの世にはおらず、残ったビワハヤヒデには、

長く元気に暮らして欲しいと思うのです。



今でも9月になると、あの黄金色の西日を受けて、逞しくたてがみをゆらしながら、

阪神競馬場の最後の直線を走り抜けるビワハヤヒデの雄姿を思い出すことが出来ます。

私のパラグアイへの旅立ちへのエールを送ってくれているようだった彼の姿。

その年の春、5年間真剣に付き合った人に別れを告げられ、大きな痛手を負って失意のどん底にいた私にとって、

競馬場で走るサラブレッドたちに、前向きに生きるパワーをもらったのが、

この平成5年度のビワハヤヒデ世代の馬達だったのです。

そんな彼に、ありがとう!

ずっと、声援を続けるよ。







  






生産者 早田牧場新冠支場
調教師 濱田光正(栗東)
主戦騎手 岡部 幸雄
競走成績 16戦 10勝 2着5回  5着1回
総獲得賞金 8億9767万5,000円
表彰項目 1993年 JRA賞年度代表馬、最優秀4歳牡馬
1994年 JRA賞最優秀5歳以上牡馬
主なレース成績
1992年 デイリー杯3歳S(GII) 1着
1993年 皐月賞(GT) 2着
1993年 東京優駿[日本ダービー](GT) 2着
1993年 神戸新聞杯(GU) 1着
1993年 菊花賞(GI ) 1着
1993年 有馬記念(GI) 2着
1994年 天皇賞[春](GI) 1着
1994年 宝塚記念(GI) 1着

1994年天皇賞[秋]後引退 種牡馬として繋留中
◎繁用先 :
  門別町日西牧場
 
 
     



ビワハヤヒデの近況写真です。
すいぶんと、白くなってきた馬体。


2001/10/06撮影
(門別 日西牧場)

写真提供「競馬ニュース的ブログ」



もう一枚 !
赤いメンコをはずした貫禄の顔 ( ボクの顔って、やっぱり長い。。。ですか?)





( 2004年9月7日記 )
       






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